Producer 斎藤信子クリアリー
斎藤信子クリアリー氏は1985年に日米のビジネス関係の発展を支援するために国際的企業、クロス・カルチャル・コミュニケーションズを創業し、代表を務める。ノースイースタン大学に留学する以前は日本で歌手やテレビやラジオの司会者として活躍していた。
斎藤氏はノースイースタン大学(NU)より日本人として初の英語学士を修得。
アジアンアメリカンセンター開設当初の寄付者であり、ノースイースタン大学法人会
の役員も務めた。その後サンノゼ州立大学より言語学修士を修得、さらに
スタンフォード大学ビジネス大学院で勉学を続けた。
現在は北カリフォルニアジャパンソサエティ(JSNC)とエンゼルアイランド入国管理ステーション財団(AIISF)の理事会役員を務める。また、Community School of Music and Artsの理事でもあり、CSMAタテウチホールの会長も務めている。斎藤氏は当ホールで日本の伝統文化や音楽を紹介する活動も行っている。
また、斎藤氏はこのほか数多くの非営利団体に貢献。日米をつなぐ市民活動の実績に対し、外務省より2015年に外務大臣賞を受賞している。
斎藤氏は過去、2作品の映画のプロデューサーを務めている。一作目は、歴史学者広島原爆被害にあった12人の米国人捕虜の家族を何十年にもわたり探す活動を行った森氏を追った「ペーパー・ランタン」。国連でこの映画が森氏参加のもと上映された際、講演を行った。
もう一作は「チャレンジド」という知的発達障害のある人たちが音楽を体験する様子を追った映画。彼らは最終的には有名な太鼓演奏団体になり、社会のなかに受け入れられていった。この映画はチャレンジを持つ人たちがそれぞれの可能性を見出すきっかけとなるようなものとなり、シリコンバレー・アジアン・パシフィック・フィルムフェスティバルで国際賞に選出された。
斎藤氏はノースイースタン大学卒業後、数十年にわたって数々の文化や交流プログラムを通してアメリカと日本の架け橋づくりに貢献してきた。映画はその一つの手段であり、教育や文化の理解を促進するよい手法であると信じている。